映画を見た感想

J'aime le cinéma

BSスペシャル『ボルトとダシャ~マンホールチルドレン20年の軌跡~』

-BSスペシャル『ボルトとダシャ~マンホールチルドレン20年の軌跡~』-

 

今日は映画ではないです

昔から事実を追い求める習性があった気がしていて

余りフィクション系に興味を示してはこなくて

まぁ、ここ5年くらいですかね

純粋にフィクションも楽しめるようになってきました

 

でもフィクションもある事実を元に作られているような気もしますよね

色んな脚色や空想を加えてより楽しめる感じにしていく、みたいな そういう観点で見ているとより面白くなりますね

 

舞台はモンゴル

このマンホールチルドレンが10代の頃から追っていたというのは驚きで それに興味を示して録りためていた人がいたんだ、というのも驚きました

やはり人って同じ物を求め同じ価値観では何も発展しませんよね

何かがおかしい、とか、これは実は良くない、もしくは これって他人事みたいについ思ってしまうけど人ってかなり細かいとこで結構関わり合ってるのでは?と私は思う

 

隣人を大事にできなければ、自分も大事にされにくい 自分を大事にしてくれる人を大事にする、とか

自分に利益があるなら付き合う、とか

何様感が凄いし、そんなパッと見の瞬間で相手の全部なんかわかるものか

長年付き合ってもまだ知らない部分があるのが当たり前だと思うんだけど

 

そういう自覚されてないマウント感を感じ取ったら

「いや、結構です」とその場を去るのが得策だと思ってる

 

当然のようにこの子達も周りの大人から蔑まれ虐げられ でもさ、この子達がその人達に何をしたっていうんだ???

そんな状況を作り出したのはこの子たちのせいではないでしょ

いつも原因となるものは覆い隠されて見えなくされているんだ

 

その、自分だけは安全地帯に居たいと日々努力する様は究極の怠け癖だと私は思っています

非難されたくない、非難は私はしないけどそっちの側にいたい、みたいな

いつも上から見下ろす側でいたい、みたいな

可哀想~ねぇこの子たち可哀想~って言う側でいたい、みたいな

 

他人に対して可哀想~って言ってる自分の心境を立ち止まって正直に感じてみるといいと思うよ

 

可哀想って言われた側はきっと「お前に言われたくないわ」って多かれ少なかれ思ってんじゃない?

 

勿論そんなこと言わない、言えない人達だと思ってるから「可哀想~」って言う人がいるんだろうけど

 

ある意味卑怯だってこと少しは認識する心の余裕があるといいのに

 

お前のやってること卑怯だよ、と言ってもしょうがないと思って言わないんだと思う 言われた側は

 

あ、通じないんだね 可哀想に じゃ!・・・って思ってるかもよ

 

 

 

ボルトは同じマンホールチルドレンの仲間だったオユナと結ばれ子供を設ける ちゃんと家も建てた

やっと幸せな家族との生活が始まると思った

しかし同居することになったボルトの母親とオユナとの折り合いが悪くなりボルトは結局母親を追い出した だけどその後、オユナも子供を連れて出て行ってしまった

 

ボルトがどんな思いで実の母親を追い出したのか

 

その後ボルトは孤独に陥りアルコール依存症になってしまった 子供とも会えなくなった

 

どうしても会いたくて会いたくてオユナの職場に行ってしまう でもオユナは声を荒げられて泣き出して結局、ボルトが引き下がる形に

 

色んな思いや立場があってオユナが本当はどんな気持ちだったか それはオユナしか分からないと思うけど きっとお互いを思う気持ちがあるのに

その気持ちをお互いがそのまま受け取ることができず 傷つけ合ってしまった

 

問題となるのはいつも本音の部分ではない

少しの行き違いで気持ちが蔑ろにされたその事実を

どうにかしてほしいだけなんだと思う

 

現に孤独に陥ったボルトが一人暮らしのアパートの地下室がどこかで寝転んで涙を浮かべながら必死に思いを歌にしている場面で彼はこう歌っていました

 

”マンホールをうろつくうちに

オユナ 君のことが好きになった

最後の最後に僕はやっと君を理解できた

オユナ 君には僕のことを忘れないでほしい

27回倒れた それでもこの世を恨んでなんかない

オユナ 君は・・・”

 

きっとボルトはオユナの傷ついた気持ちをきちんと分かっていて でも届かないその想いに涙していたんだと想う

 

強い人というのはどんな状況にあっても

色んな苦難、誤解や偏見を自身にぶつけられても

それでも相手を想える人ではないか

強い人というのは人の弱さ 自分の弱さも 認めて

それでも前へ進もうと思える人ではないか

 

オユナはその後子供を親戚に預けまたマンホール生活に戻り ある日マンホールの中で座ったまま息を引き取っていたのを発見されたそうだ

 

罪悪感というものは想像以上に人を中からじわじわと蝕む それを見ないようにすればするほど 見る勇気も出せなくなっていく 時間が経てば経つほど

 

ボルトは親友のダシャと苦しいときは助け合い

子供が入学するとき、相手を信じてお金を貸す

 

ボルトとダシャはそれぞれ幸せな家庭や環境を再び持ち もっと豊かな状況を目指してゆっくりと進んでいる

 

本当の幸せを感じてる人って

きっとこういう目立たない場所で

誰にも理解されなくても

守りたいものを守り続ける強さを持ってる

そういう人達が本当に幸せなんだと私は思う

 

www4.nhk.or.jp

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サウルの息子

-2015年ハンガリー-

 

強制収容所時代のゾンダーコマンドを主人公とした映画

ゾンダーコマンドとはドイツ語で特殊部隊という意味らしく

ナチスの行っている事を手助けするため、収容された人の中から

選ばれた人達。

しかし彼らもまた時が来れば殺される運命にあった。

 

その彼らが反乱を企て計画し行動にうつしたという内容。

これは実際に1944年にアウシュヴィッツ強制収容所で起こった反乱を元に

製作されたようだ。

 

その反乱を企てている中で

一人の成人男性が腹違いの息子への愛情ゆえに

周りを混乱させてしまう。

 

父親の愛情って軽く扱われがちだけど

やっぱり同じ血を思う気持ちは深いよね。

母親とは違う形で守りたいって強く思うんだと思う。

 

 

現在の日本には虐待を通じてしか伝える術を持たない愛情を抱えた親は多いと感じる。

その歪んでしまった愛情は誰のせい、などと言っていたら

一向に解決に向かわないと思う。

誰かのせい、社会のせい、と思ってしまうのは理解できる。

だって関わりたくないよね、自分達の生活で忙しいのに。

 

だけどその忙しい生活は実は何かの、誰かの犠牲の上に成り立ってはいまいか。

最も身近では自分自身がそういう生活を本当に望んでいるのか、という

違う視点、色んな角度から見てみるという新しいことをしないと

死ぬ間際になって「こんなはずじゃなかった」「私の人生を返して」と

言ってみたところで誰も責任は取ってはくれないと思う。

 

辛いことだけど自分の不幸を誰かのせいにしているうちは

自分の人生の舵取りを他人にゆだねっぱなしであるということに気付くこと。

 

社会で生きていく中で人は様々な影響を受け合って生きていく。

必ずしも自分だけの責任ではないけれど

その現在の不幸に気付き、そこからどうしていくか。

他人に変われ!と言ったところで反発をくらうだけでますます自分は不幸になる。

ただし、自分だけは自分の意志と勇気で変えられる。

そしてその姿を見て勇気づけられる人も必ず出てくる。

とにかく自分にできることをやるのみ。他人を批判している場合ではないのだ。

 

 

映画の内容は児童虐待とは無縁だけれど

他人を咎めて問題解決を図ろうとしている点では

強制収容所の歴史も似たような人間の欲求から出る負の結果の一つであることは

間違いないであろう。

 

 

自分は違うとか、それとこれとは別、とか

区別に忙しく頭を働かせるよりも

もっと自分に正直に率直に

言葉や目に見える結果より

目に見えない奥底から沸き上がる

抑圧され続けた感情に

目を向けることがまず第一歩なのではないだろうか。

 

そこから個人個人のそれぞれの自分らしい生き方がスタートするのだと思う。

それをどうしていくのかもその人次第。

何だかんだ言ってくる人がいたとしても

そのうちの誰一人として

自分の人生の責任なんて取ってはくれないんだから。

 

100年も経てば誰も他人のことなんて覚えちゃいないよ。

 

強制収容所の時代に比べたら

現在はそういう生き方が可能になってきているんだ。

他人に自分の人生を決定づけられるなんてとってもおぞましいことなんだって

私は強く思っている。

そんなのもう許してちゃいけないよ。

 

人を大切に思う気持ちがきちんと自分の中にありさえすれば、どんなに遠回りしたとしても

必ず自分本来の道へ繋がると私は信じてる。

 

自由でありたいと思うならば、自分を批判してくるひとの「批判する自由」も認めないといけない。 批判を認めた上で、話は聞くけど言うことは聞かない。単純に「ごめん、やっぱり俺はこうだわ」と、自分の道を歩けばいいのだと思う。 ただ、自分に飽きただけ。 - いばや通信 https://t.co/rNX3H8vVHX — 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年2月7日

男は、死んでから眠るもの思うとります。 - いばや通信

 これは共感

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グッモーエビアン

日本の小説を原作とした映画(2012年)

ドラマ化もされていたらしい

 

大分前に録りためていた映画を今少しずつ消化している

 

大泉洋麻生久美子がメインの大変お洒落な映画

 

登場人物の衣装もそうだけど

和風な日本のアパートの部屋が

一見どこにでもあるゴチャゴチャしていて狭っ苦しくて

出来れば人には見せたくない部屋っぽいんだけど

よくよく見てみると置かれている物ひとつひとつが

こだわりを感じさせるものばかり

 

色がたくさんあるのはお洒落に見える要素の一つだと思っていて

モノトーンの美しさももちろんその要素にあるけれども

断然たくさんの色を使ってその色の配置

それを乗せた生地の形や風合い

一見ラフなようで実は計算ずくで

しかしそれをパッと見では感じさせない気軽さは

大分好みだな~と思った

 

素のままでいたらこうなっただけ~(しか~し!心の中で舌を出してる)

(ヘッヘッヘ~と少しドヤってる)(でも嫌味がない)

みたいな(目指したい)

 

そして私なりにグッと来た名言も結構ありまして

3つここに記しておきたいです

 

 

一、自分の将来は自分で決めたらいい

 

二、人にも自分の気持ちにも嘘をついちゃダメ

 

三、さよならとありがとうは言える時に言わなあかん

 

 

これこそが自由に生きてきた大泉洋演じるヤグの

生き方の軸となっているものであるのであろう

 

他人に自分の人生の舵を取らせないということですよね

これは大分大事なことだと私は感じます

 

自由に生きるということは決して楽ではない

敷かれた安全安泰なレールは

その通りなぞっていればいい訳で

(それもなかなか難しいのはここではナシとして)

自由に生きるということはその日その瞬間瞬間が

選択の連続で

選択の軸となるものは自分で勝ち取ったものでないと

容易にぶれまくる

めちゃくちゃ挑戦的(自分に対して)な生き方であり

心優しい人に忠告・批判もされるだろう

それに負けない強さとそこから得る喜びというのは

既存のかって知ったるものではなく

だからこそ次に繋げる原動力にもなり得る

その人独自の生き様のひとつひとつとなるだろう

 

ヤグの恋人の麻生久美子演じるアキもまた

敷かれた安全安泰なレールを子供に選ばせようとする

担任教師に向かって

「そんなのつまらん」と堂々と言い放っている

 

私もそんな人間でありたいと思った

堂々と言えるのはきちんとその事に向き合ってきたからであり

向き合ってきた結果出た言葉だからだと思う

 

言葉っていうのは人それぞれ捉え方が違うので

誤解を生みやすいもの

ひとつの言葉を取ってもその人がどういう思いでその言葉を選んだか

その思いは決して見えるものではない

他人に発する言葉をどう扱うかは自分をどう扱うかと正比例していると思う

そういう目に見えない事の方により耳を澄ませる事が出来る人間であれたらな~と思います

なかなか一筋縄ではいかないけどね・・・

 

大泉洋のスター性

これはもうどうしようもなく誰にも真似できない

大泉洋だからこその魅力がたくさん詰まった映画です

 

カッコイイお洒落な映画、だけどそれだけじゃなく内容もギュッと濃厚な意味合いを持つ映画であると思いました!

面白かった!

 

エンディングテーマのONE OK ROCKの"the same as..."もやっぱりかっこいいね~!

 


One Ok Rock - The same as... (Live) (sub español)

 

the same as…

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  • provided courtesy of iTunes

 

 

Jinsei × Boku =

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